2010年5月20日木曜日

日本で福音を伝える姿勢参考に!?

コリント人への第一の手紙 9章 19節~23節

わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。

ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。

律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。

弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。

福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。

アーメン

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2010年5月16日日曜日

行き詰まりを感じたときに心を支えてくれる御言葉

イザヤ書 / 41章 10節

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。

驚いてはならない、わたしはあなたの神である。

わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

アーメン

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2010年5月14日金曜日

クリスチャンが交際してはいけない人、交際していい人

コリントの信徒への手紙一 5章 9節~13節

わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、

その意味は、
この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。

もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。

わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、
みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。

外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。
内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。

外部の人々は神がお裁きになります。
「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」

アーメン

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2010年5月11日火曜日

聖霊様と共に祈る

ユダの手紙 20節
愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。

祈りの言葉
聖霊様とご一緒にイエスの御名によってお祈りいたします。

アーメン

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パウロの獄中書簡

パウロ先生が軟禁状態の時に手紙を書いてクリスチャンを指導した書簡。

テモテ、エペソ、コロサイ、ピリピ、ピレモンの5つの書簡。

アーメン

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御霊の実

ガラテヤ人への手紙 / 5章 22節~23節

柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

しかし、
御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

アーメン

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肉の欲(御霊によらない人の欲)

ガラテヤの信徒への手紙 5章 19節~21節

肉の働きは明白である。

すなわち、
不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。

わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

アーメン

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2010年5月10日月曜日

苦難を誇りにしよう!

ローマの信徒への手紙 5章 3節~5節

苦難をも誇りとします。

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

アーメン

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2010年5月8日土曜日

お気に入りの御言葉~1~

ローマの信徒への手紙  15章 1節~4節

わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。

おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。
キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。

かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

アーメン

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2010年5月4日火曜日

おねだり信仰の罠にはまってました。

おねだり信仰をしている自分の愚かさに気付かれました。

天のお父様は無償の愛を下さることの対し、私は愛を下さる天のお父様の天の栄光を表すのではなく、おねだりになってしまいました。

これからは天のお父様の愛を絶えず喜び、絶えずお父様の愛を祈り、絶えず感謝でお応えし、全ての行動・活動を天の栄光を表すために行っていきます。

アーメン

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2010年5月1日土曜日

聖書の中の聖書

ヨハネによる福音書 3章16節~17節

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

アーメン

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